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“なかとりもち” として

零戦

先日、産経新聞社が主催した、真珠湾攻撃の第1次攻撃隊に実際に参戦された城武夫さんの講演会を拝聴しました。

城さんは、海軍の航空部隊として鹿児島で厳しい訓練に明け暮れました。
昭和16年秋、空母に乗り込み北上。
このとき、行き先は告げられず、ただ寒い地に向かっていることだけは解ったそうです。
11月18日、機動部隊の航空母艦6隻が択捉島のヒトカップ湾に集結。
赤城にて全戦闘員が集っての作戦会議が行われ、その時に初めて真珠湾攻撃を知りました。
その折、政府による和平交渉中であることも同時に知らされたそうですが、その場の空気はおそらく戦争になるであろうという覚悟、雰囲気が漂っていたそうです。

いよいよ突撃の朝、全ての戦士が遺書と遺髪を残し機に搭乗。
真珠湾を目指して飛び立ちました。
その時に見た朝日は、それまで望んだ朝日の中で最も美しかったのだそうです。

真珠湾に到達。
いよいよ攻撃目標を確認するに到り、真珠湾内に空母が停泊していないことが解りました。
第一攻撃目標がいなかったのです。
そこで已む無く、第2攻撃目標であった戦艦を爆撃。
見事成功を成し遂げ帰還されました。
帰還した後も、奇襲攻撃成功の喜びというより、次なる攻撃や作戦に向けての緊張は全く解けなかったそうです。

奇襲攻撃とはいえ、米国側の機銃による反撃はとても素早かったそうで、実際に敵からの反撃を受けたことと、航空母艦が1隻もいなかった事などから、緊張が解けなかったこともうなずけます。
また、有名な「トラトラトラ」の暗号は、城さんたちは実際に聞いていないとのお話でした。

その後、城さんは内地に戻り、別府でお正月を迎え、1月12日に南方に向かいます。
そのインド洋での戦いで敵の攻撃に遭い右目を失明。
何とか一命をとりとめ、それ以降は教官として任務を遂行されました。

御年94歳になる城さん。
講演のほとんどを立ちながら、はっきりと話される姿に、軍人の凛々しさを感じました。
そのお話を聞いた直後に『永遠の0』を観に行きました。
改めて、日本を守る為に、家族を守る為に命をかけて戦われた方々に対する尊崇の念をあつくしました。

『永遠の0』で夏八木薫さんが言ったセリフ。
「生き残った者は、死者を無駄にすることなく、ものがたりを続けなければならない。」
本当にその通りだと思います。
英霊のことをいつまでも忘れることなく、平和で豊な時代を築いていかなければいけませんね。

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◆定員100名の講演会だったのですが、参加希望者多数のため急遽会場を変更しての開催となりました。今後、戦艦大和の乗組員の方の講演会も予定されているそうです。

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◆涙がとまりませんでした。。。。



by fukuigokoku | 2013-12-28 10:37 | 紹介したいこと | Comments(0)