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“なかとりもち” として

グアム島での戦跡地巡拝と慰霊祭 1

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■雪の残る靖国神社境内。福井には雪がなく東京で残雪を見る。これは珍しいことですよね(^^) この後、海外慰霊祭に臨むにあたり、昇殿参拝と開講式、壮行会が開催されました。

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■夜にグアムに到着。翌朝から早速戦跡地巡拝です。先ずはアガニアにある日本軍のトーチカへ。ここは主に高知県の部隊の方々が守備にあたっていたそうです。上陸してくるであろう米軍に対する備えでしたが、ここからは上陸が無かったようです。

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■トーチカからグアムの青い海を臨みました。どんな思いだったのでしょうか。

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■アガニアにある日本軍が掘った壕です。中は迷路のようになっています。全て手で掘られました。

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■その壕の中の様子です。懐中電灯が無いと全く何も見えません。

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■中には蝋燭を置いてあった場所や、神棚がまつられていた場所もありました。

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■その壕の入口を外から見た様子です。一見まったく解りません。

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■街中に日本軍の戦車が置かれています。なぜか恐竜にくくりつけられていました・・・重しの代わりになっているのかと。

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■アサンの丘です。米軍上陸海岸を見渡せます。日本軍の総攻撃をはじめ、グアム島における日米の最も激しい戦闘が行われたエリアです。

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■この丘で、今回の講師をお務めいただいた芳賀さんのお話を聞きました。パールハーバーを空爆した3時間後にグアムへの空爆が行われました。それ以降31ヶ月にわたって日本軍がグアムを占拠しました。2万人以上の戦士のうち、1305名の生存者しかなかった激戦地です。眼下に広がる美しい景色が心に染み渡ります。

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■アガットにある日米両戦没者の慰霊碑です。石碑の文字は昭和47年に生存が確認された、元日本兵の横井庄一さんの揮毫によるものです。建立時には靖国神社の神職さんが奉仕による慰霊祭が斎行されました。

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■アガット海岸から上陸する米軍を攻撃するための偽装陣地として使われた、日本軍のトーチカです。

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■アガットのこの一帯は国定公園に指定されています。

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■オンワードが経営するゴルフ場からの眺めです。中央やや左側の湖付近で、横井庄一さんは暮らしていたそうです。

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■マンガン山強制収容所に建てられた、チャモロ人の犠牲者の慰霊碑です。米軍との挟撃を避けるために日本軍がチャモロ人をこの地に集めました。その折、不幸な虐殺等もあったとの事でした。心を込めて慰霊をさせて頂きました。

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■ジーゴにある平和記念公園です。南太平洋戦没者慰霊協会によって建設、管理されている地です。遺品や武器の残骸が収められた建物もありました。

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■敷地内にある日本軍が用いた水槽です。

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■日本青年会議所が建立した慰霊碑をはじめ、様々な慰霊碑が並んでいます。今の青年会議所会員はこの碑があることを知っているのでしょうか・・・

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■記念館の内部です。「英霊が栄光をかけて得た平和」という言葉が胸を打ちます。
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■デデドにあった戦争裁判所跡地です。今は何もありません。112名の方々が収容され、42名の方々が法務死されました。



by fukuigokoku | 2014-03-02 14:17 | 紹介したいこと | Comments(0)