2006年 10月 25日
気枯れ(けがれ)
福井は真宗王国と言われるほど、門徒さんが多い地方です。
ですので、神道での祖先まつりをされる方の割合も少ないですね。
ただ、最近全国的に神道での祖先まつりをされる方が増えてきているんですよ。
祭祀に関わる金銭的負担が少ないからでしょうか・・・
さて、しかしながら人と人との今生の別れというものは、いつどんな立場で対峙しても寂しい思いがしますね。まさに「気が枯れた」状態になります。
まぁそりゃあそうですよね。
人の死、それも自身にとって身近な方の死って究極の非日常ですよ。
誰もが普段通りの気構えではいれません。
ただ、生きている我々は、いつまでもそのような気が枯れた状態でいるわけにもいかない。
日常はすぐそこに待っています。
そこで登場するのが「塩」です。
気枯れ(けがれ)た状態から復帰するために、我々の生命の根源でもある「塩」をふり、日常の生活へと戻るきっかけとする。
何といいますか、、私たちの先人の知恵というか、その想像性の深さには本当に驚かされますよね。
この「塩を振る」という行為は、ある宗教団体が言うように、死者が穢れているからそれを清める為のものでは無いんですよ。ちゃんとした意味があるんです。
こういう事を伝えていくことは大切だと思います。昔はこのような儀礼を通して命の大切さを伝えてきたんでしょうね。それが無くなってきたことも現在の殺伐とした状況とが妙にリンクしていると感じるのは私だけでしょうか・・・・




